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1964(昭和42)年創業――。
今日までの音羽鮨、その軌跡

社長(橋本寛)の幼少期、五日市で人気だった寿司店の仕事を見て、その仕事に興味を持った。この想いが後に具現化することになる。
その後、その寿司店は廃業。五日市には寿司店が不在となった。この地に再び寿司店を蘇らせるべく、社長の奔走が始まった。

1961年(昭和36年)「修業時代」

社長(橋本寛)が高校を卒業。
五日市で寿司屋を開業するために、文京区音羽は元鳩山一郎総理大臣邸表門の隣にあった「音羽鮨」にて修行を開始。

修行後、「音羽鮨」の屋号の暖簾分けを認められ帰郷。

[写真]修行終盤の頃、元NHKアナウンサーの高橋圭三さん(左から2番目)が取材に訪れた

1964年(昭和39年)「開業」

東京オリンピック開催の年4月1日、故郷の武蔵五日市で寿司店「音羽鮨」を開業。

1967年(昭和42年)「事業拡大の閃き」

社長のひらめきにより、中華料理・ラーメン部門を新設し、これが大当たり。更なる人気を獲得。
多角的なメニューのラインナップは現在にもつながる。腕利きの寿司職人、中華料理人の二段構え体制に。

当時は協会より派遣された中華料理の職人のもと、4年間にわたり当店の従業員が中華料理を学ぶ。

当時は若い従業員が4~5人、住み込みで働いていた。
1973年に開通した「奥多摩周遊道路」の工事に伴い、店は連日建設関係者で賑わう。

1970年(昭和45年)「最初の改装」

この年に一度目の改装を行う。

1976年(昭和51年)「現料理長、音羽鮨へ」

中華料理の現料理長が入店。当時は若い従業員がバイクや自転車で出前をやっていた。

1979年(昭和54年)「再び改装工事」

2度目の改装を行う為、仮店舗にて営業。改装工事中は出前のみの営業だった。
そして新店舗が完成し、新装オープン。

1980年(昭和55年)「鰻料理の定着」

丑の日のみ扱っていた“うなぎ”を定番メニューとした。

この頃から平成3年ごろまではバブルの背景からくる異常なる忙しさのなか切り盛りし、以降約20年間にわたり、少しずつ変化をしながら、現在の営業スタイルになっていく。

2001年(平成13年)「鰻の仕入れの変化」

浜名湖の漁協より直にうなぎを取引して今に至る。

2007年(平成19年)「四季の麺が完成」

季節に合わせた四季の麺シリーズを完成。特に冬限定のカキ味噌ラーメンが人気を博す。

2011年(平成23年)「ケータリング開始」

新たにケータリング事業を開始。更に事業の幅を広げる。

2012年(平成24年)「だんべえ汁の誕生」

観光協会青年部が考案しB級グルメでグランプリを受賞した、ご当地グルメ“だんべえ汁”を販売開始。その後も販売提供店となり当店の名物となる。

2013年(平成25年)「新たな海鮮丼」

海鮮のっけ丼を販売開始。

2015年(平成27年)「寿司は職人にお任せ」

おまかせにぎりを販売開始。人気が出る。

2017年(平成29年)「地産地消」

とうきょう特産食材使用店に登録。多種の地元食材を年間を通して使用している。

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